規則やルールが守られない理由
質問1:車の運転では、いつも速度制限を守っていますか?
回答1:パトカーがいなければ、10㎞/h以内なら、良いと思っている・・・。
質問2:横断歩道を渡るとき、車の通りがなくても必ず青信号まで待ちますか?
回答2:いつも守ってるが、今は急いでいるので、確認してならいいかな?
問題は、その例外の頻度で、ちょっとだけが重なることです。守らないことに違和感がなくなり、例外対応が当然の様な状況に陥ります。
警察側としてもルールが守られないことがあるとの認識があり、思い出させる様に取締りを実施しています。
飲酒運転をする人が激減したのは、捕まる可能性があるだけでなく、捕まった時の大きなペナルティ(リスク)にもあります。
失うものとの対比が遵守状況に影響するのです。
組織内のルールや規則の留意点としては、
- ルールは全て、組織の経営戦略や目的と合致させること
- 守りやすいルールであること
- ルールは重要点を抑えた具体策であること
- 暗記できないほどの詳細なルールにしないこと
- 監査等を意識した事実確認のためだけに考えないこと
(個別に図、写真等で表したルールが良い)
にあります。
守れないルールを守れないまま維持することは、
ルールは理想で現実は別ととらえ、ルールを守っていたら仕事にならない、ルールは守らなくて良いへと移行し、組織を危険にさらす結果ともなりえます。
ルールが守られなかったときには守らなかった“ひと”に問題がある、厳しさが足りなかった、ということになりがちです。
しかし現実には、守られにくいルールというものが存在していることに原因がある場合があります。
- 相反するルールが存在する
- とにかく分厚いルールブック
- 理想を追求(現実と乖離)したルール
- 何かが起きるたびに、ただ付け足したルール
大手銀行におけるシステムトラブルの頻発が一時期前メディアを賑わせました。
カタカナのデータを漢字で登録して全ATM停止、担当者が誤って電算センターの電源切断したための全ATM停止。これらはルールが整備された上での担当者の人為的かつ初歩的ミスと断定してもいいのでしょうか?
担当者のミスを誘発するルールになってはいなかったか、そういった視点から見る必要があります。
・ルールは守れる、覚えておけるものでなくてはいけない
・ルールが守られなかったことを検出する仕組みと、守られない原因を検討して改善する仕組みが必要
そして重要なのは、たとえこれらを整えたとしても、ヒューマンエラーはゼロにはならないということです。
Q:仕事上、決められたルールがあるのに、それを行わず間違えてしまった場合、どうすればルール通りに実行・守れると思いますか?
A①:マニュアルをしっかり教育するしかない。
A②:マニュアルを現実の作業に沿ったものとする。
A③:作業標準書の内容を守らずにミスや怪我が起きた場合、社員でも関連会社の社員でも厳しく指導。
A④:教育の繰り返しによってミスや事故ゼロを組織全体で目指す。
A①A②のためには、机上の空論で無い様に、定期的なマニュアルの見直しが必要となってきます。
A①~④どれも大切で正解であるといえます。とはいえ、それでもミスは起こってしまうのです。
規則やルールとは
ビジネスであれスポーツであれ、また小さなことでも大きなことでもルールを守る事は大切です。
そもそも何の為にルールは存在するのでしょうか。
・更なる効率性、安全性のアップ
・権利等のルールの存在が多くの人に「益」をもたらす
“ルールだから守らなくてはならない”という安易な発想は危険で、変化も進歩もなくなってしまいます。時代とともに人を取り巻く環境は変化し、ルールも法律も変わっていくものです。
サッカーには「ボールを直接手で触らない」というルールがあります。
これを破るとどうなるでしょうか。
⇒相手チームのフリーキックというペナルティ(罰則)となります。
競技、とりわけスポーツのルールは、極めて厳密で厳格です。
「初期の競技の大半は賭けのために行われていた」そうです。そのためルールが発達し、審判という制度も出来あがってきたとのこと。スポーツのルールの起源は、まさに勝負の世界、賭け者の生死、競技者の生死にも関わっていました。そのため、スポーツのルールは、拘束性を伴い、破れば、ペナルティという忌避できない罰則があるのです。
「国のルール」とは、法律です。
例えば、
刑法 第204条「人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」
極めて具体的な行為と罰則が示されています。
法律がなければ、国は崩壊します。政府は、その国の大多数の人々の幸せを保証するために法律を作りました。国民は、法律に沿って自分の行動を決めます。または、自分(あるいは他人)の行動の正誤は法律によって判断しています。
規則やルールを守らせるには
まず捉えておかなくてはならないのは「ルールの意義」です。
- ルールは、集団の全員のためにある
- ルールは、集団の知恵と経験と労力を掛けてつくられている
- 集団に参加しているものは、ルールを守らなければならない
- ルールを守らなければ、ペナルティを課せられる
また、ルールには流動性があり変化するものです。変わらないことは不健全です。
過去を振り返ってみれば、日本刀を持ち歩いても良かった時代がありました。喫煙に関しても、どこで吸っても良い時代がありました。これらの状況で虐げられている人達が存在したことにより、ルールが変わっていったのです。
ルール違反の放置
落書きの放置は殺人事件に発展させます。ゆるみの放置は組織をマヒさせます。
ニューヨーク市の地下鉄でも、かつて車体に落書きをするのが流行った時期がありました。イタズラだからと放置していたところ、治安がどんどん悪化し、ついには殺人事件が多発したのです。 このため警察や司法当局が協力し落書きを追放し、治安が回復したのは有名な話です。
職場の安全管理についても、横着心による短絡行動など、災害発生のもとになる小さなルール違反をこれくらいならいいだろうと黙認すれば、そのルール違反はエスカレートして、ルールを守らない事が当然の事のように日常化し、どんどん大きくなって歯止めが効かなくなっていきます。
ルール違反の多い職場では、整理整頓も行き届かなく、常に雑然とした状態で安全設備の状態も悪化します。
安全教育の機会も充分ではなく、皆を集めようにも時間は守られず、集まっても私語が絶えない・・・そのような無法状況となることにつながります。
これとは反対に、小さなルール違反も注意を与え是正させている職場は、ルールを守る事が当たり前の状態となり、日常的にルール通りの行動が出来る様になっていきます。
このような職場では、安全教育や行事も活発に行う事が出来、効果も上がっていきます。労せずして安全管理は、充分なものとなるのです。
ルールを習慣的な行動に
人は基本的に楽をしたい生き物であるが、習慣性もあります。一度、習慣になった行動は苦労や横着心もなくなります。逆に習慣になった行動を変えると、不安感や物足りなさを感じる様になります。
ルールを習慣的な行動にしてしまえば、それは押し付けられている行動ではなく、個人の自然な行動となるのです。
シートベルトの着用。
20年前は運転席、助手席の着用も低かった⇒今はほとんど100%の着用率
当時は着用すると運転しづらいの言い訳 ⇒今は着用しないと落ち着かない(習慣化)
会社では、規則やルールを守ろうと、耳にタコができる程聞かされていることかと思います。
守らないことで、大きなミスや重大な事故に発展することがあるからです。では、そのことが分かっているにも拘らず、なぜ守られないのでしょうか。
何故だと思いますか。必要性を感じないからでしょうか。
自分は、大丈夫だと思い込んでいるからでしょうか。
経験年数が長いと、仕事のコツや妥協点がだんだん分かってきて、ある程度ルールや規則を守る範囲が分かってくるものです。分かっていながらルールを破らせる程の強い影響力を持つ要因が存在するのです。
時間を短縮せよ(生産効率を向上させよ)という圧力が働き、設備を止めてしまえば上司や仲間にも迷惑をかけてしまう。負い目を負うより、旨くやれば怪我をしなくて済むという暗黙の期待があるかもしれません。
「安全をすべてに優先させる」上司の強い意志と日々の仕事を通じた言動があって、はじめて生産効率よりも安全の確保が大義となり、効率よりも安全を重視するようになるのです。
「安全をすべてに優先させる」トップの強い意志と言動があって、安全を優先せざるを得なくなるのです。
トップが誤った大義を示し、組織全体がこれに服従して問題を起こした事例が多く報道されています。
安全を体現するトップの存在が安全な企業を生み出す必須要件であるのです。
規則やルールが守られない。大きな要因は、実態とあわない規則・ルールを守ることを強要され、仕事の生産性アップ・効率化を求められるからではないでしょうか。
ヒューマンファクターに最も影響する要因。それはトップの意思と行動であると考えられます。